この原稿は2009年6月時点のものです。
Q) 東京ディズニーランドとの出会いは?
A) 小学6年生にあがる春休みに初めて東京ディズニーランドに行き、そのスケールに圧倒されました。その後、姉が東京ディズニーランドでアルバイトを始めたとき私は高校生でしたが、私も大好きな姉と同じようになりたいと思い、大学に入るとすぐに週末にアルバイトを始めました。しかも姉と同じファンタジーランドのアトラクション、チロリアンテープがついた白いシャツに、黄色のパンツのコスチュームもあこがれでした。
働く中で、3年生の夏、「東京ディズニーリゾート・アンバサダー」(※) に応募しました。これは東京ディズニーリゾートの親善大使で、カリフォルニアのディズニーランドができた時に誕生しました。ディズニーテーマパークの生みの親、ウォルト・ディズニーが多忙のため、彼に代わってお客様を案内したり、広報活動をする「アンバサダー制度」を作ったのです。日本でも東京ディズニーランドができた時からこの制度があり、そこで働く人、キャストのうち、日本語が不自由なく読み書きできて、20歳以上であれば誰でも応募ができたので、100人以上の応募者がありました。
(※) 当時は、「東京ディズニーランド・アンバサダー」と呼称。
10月にアンバサダーに選出されてから生活が一変!まず大学に1年半の休学届を出しました。1年間のアンバサダーの任期に加え、3カ月前からトレーニングが始まるからです。それまではTシャツにジーンズで、お化粧もせず大学に通っていたのですが、まずは社会人として基本的なお化粧の講習から始まり、話し方や立ち居振る舞いなど、基本的な接遇法を学びました。
アンバサダーの主な仕事は、東京ディズニーリゾートを代表してショーやイベントでスピーチをしたり、ミッキーマウスやミニーマウスと一緒にテレビやラジオでテーマパークのことをご紹介したり、また東京ディズニーリゾートにいらっしゃれない、病院や福祉施設のお子さんにミッキーやミニーと一緒に訪問して、ディズニーの夢をお届けしたりします。毎日が勉強であり、また反省の連続でした。そしてこの仕事が私の人生の大きな転機になりました。
ウォルト・ディズニー・ワールドがある、フロリダ州のオーランド市長がお見えになったときにもご案内させていただきましたが、そうした多くの経験を通して、たくさんの人に夢をご提供できる会社って本当に素晴らしいと思いました。